今回は、2009年に発生し今もなおその行方が分かっていない下村まなみちゃん行方不明事件について紹介していきます。
まずは事件概要から紹介していくよ。
事件概要
2009年7月24日、岐阜県郡上市高鷲町の「ひるがの高原キャンプ場」を訪れていた下村まなみちゃん(当時10歳)が忽然と姿を消しました。
当時、まなみちゃんが通っていた愛知県常滑西小学校は小学5年生恒例の野外学習を行っており、児童85人が校長、教頭を含む教員らとともに7月23日から2泊3日の日程でひるがの高原キャンプ場を訪れていました。
野外学習2日目の7月24日の朝7時半頃、この日の夜に予定されていた肝試しの下見をするためにまなみちゃんは同級生3人とともにキャンプ場の散策に出かけました。
その後8時少し前に、キャンプ場の一番奥の林道に立ち生徒たちの様子を見守っていた澤田広彰校長の前を通過しました。
この時まなみちゃんは、一緒に歩いていた3人の同級生たちより少し遅れて、20mほど後ろを歩いていたと言います。
その様子を心配した澤田校長は、しばらくしてからグループの後を追いました。
その途中で、引き返してきたまなみちゃんと行動していた3人の同級生たちと遭遇し、まなみちゃんの姿がないと伝えられたのです。
澤田校長がまなみちゃんの姿を最後に確認してから、わずか10分後の出来事だったと言います。
まなみちゃんが行方不明となった遊歩道は、道に沿って歩くとスタート地点に戻る周遊コースとなっていました。
最後に校長がまなみちゃんを目撃した地点はア
スファルトの林道で、東側は大人でも登ることが難しい急斜面の崖となっていました。そして、西側には小川が流れていたと言いますが、この小川の水深は10㎝と人がおぼれるような水深ではなかったと言います。
一体まなみちゃんはどこへ行ってしまったのか、その行方はいまだ分かっていません。
捜索活動
まなみちゃんの姿が見えないと報告を受けてすぐ、校長や教頭ら小学校の教員はすぐ周辺の捜索を開始しました。
しかし、まなみちゃんを見つけることができず、すぐに警察へ通報しています。
通報を受けた警察はすぐに数百人を動員し、キャンプ場の捜索を行いました。このキャンプ場は15㎡の面積を有しており、7日間でボランティアや消防、警察など延べ1700人もを動員しローラー作戦を展開しました。
周辺の建物や、林道の奥、小川の中、さらには重機で崖を崩し土の中までも捜索を行いました。
このような大規模な捜索にも関わらず、まなみちゃん本人はおろかまなみちゃんの所持品などの手がかりすら見つけることは出来ませんでした。
当時このキャンプ場の近辺では、ツキノワグマが目撃されていたことからツキノワグマに襲われたのではないかとの声もありましたが、衣服などの痕跡が発見されていないことからその可能性は低いとされています。
そして、最も有力視されたのは誘拐説。
当時キャンプ場には、他の宿泊客はいなかったことからこの日野外学習が行われていると知っていた何者かによって拉致された可能性が指摘されましたが、小学校5年生の女の子を何の痕跡も残さず連れ去ることは果たして可能なのか、未だに多くの謎が残っています。
失踪当時のまなみちゃんの特徴
失踪当時の2009年のまなみちゃんの特徴です。
- 身長120㎝、20㎏
- やせ型
- 白地に水色の袖で、うさぎの柄が入った長袖Tシャツ
- 薄ピンク色のズボン
- 水色の運動靴
- 髪の毛を2カ所ゴムで縛っていた
- 名前の書かれた赤いストラップを首からかけていた
まなみちゃんの家族
まなみちゃんの母親・益代さんは、今でもまなみちゃんの帰りを待ち続けています。キャンプ前夜、まなみちゃんは姉とソファの上で楽しげに歌を歌っていました。
キャンプを楽しみにはしゃいでいるまなみちゃんの姿を、益代さんは今でも忘れられないと言います。
まなみちゃんは3人姉妹の末っ子として産まれました。産まれてすぐにダウン症と診断され、生後5か月の時に心臓の手術を受けました。
他の子に比べて学習面や運動面で多少の遅れはあったものの、踊ることが大好きで明るい性格だったと言います。
益代さんは看護師として働き、3人の子供を育てました。そして益代さんは3人それぞれの成長を楽しみにしていました。そんな母を見てまなみちゃんも看護師に憧れを抱き、七夕の短冊に「かんごしさんになりたい」と書いていました。
まなみちゃんが行方不明になって以降、益代さんは積雪のない5月から10月に機会を見つけて教員や友人とともにキャンプ場に足を運んでいます。
そしてキャンプ場近くのサービスエリアや、JRの駅でチラシを配るなどの活動を続けています。
まなみちゃんがいつ帰ってきてもいいように、まなみちゃんの部屋や学習机は当時のままにしてあると言います。
益代さんは「元の生活に戻りたい、早く帰ってきて」とそれだけを願い続けているのです。
様々な仮説
①ツキノワグマ説
まなみちゃんが行方不明になった当時、このキャンプ場でツキノワグマの目撃情報があったことからツキノワグマに襲われたのでは?との見解が示されていました。
しかし、警察や消防の大規模な捜索にも関わらず遺留品などが全く発見されていないことからツキノワグマに襲われた可能性は低いとされています。
②校長先生が犯人説
当時、最後の目撃者である校長先生が怪しいとされました。
「子供がひとり孤立して歩いているのになぜ後を追わなかったのか」「先を歩いていた3人の同級生が校長の前を通過した時、なぜその場でまなみちゃんを待つように指示しなかったのか」「まなみちゃんの姿が見えなくなった後、すぐに警察に連絡しなかったのは何故か」などの声が上がりました。
ですが、3人の同級生が校長の前を通り過ぎ、まなみちゃんがいないと引き返してくるまでの時間はおよそ10分足らず。
その短時間で校長先生がまなみちゃんを連れ去ることはほぼ不可能に近いです。
そして校長はその後の取材で「まなみさんのことを思い出さない日は1日もない」とコメントしています。
②迷子、事故説
まなみちゃんはダウン症を患っており、家族と離れて行動するのはこれが初めてだったと言います。
まなみちゃんは他の子と比べて体力もなかったため、10分という短時間で大人数で探しても見つからない程、奥へと進んでいくとは考えにくいのです。
③何者かによる誘拐説
そして、現在に至るまでまなみちゃんの遺留品や痕跡が何一つ発見されていないことから、現在最も有力とされているのがこの誘拐説。
そしてこの誘拐説の中でもまなみちゃんの顔見知りによる犯行説と、全く知らない人物による犯行説があります。
行方不明当時、物音や悲鳴などを聞いた人がいなかったことからまなみちゃんの顔見知りによる犯行ではないかという見方が示されました。
この見解が正しいとすると、この日野外学習が行われることを知っていた何者かがキャンプ場に潜んでいたことになります。
果たしてそんなことは可能なのか、少し謎が残りますね。
そしてもう一つは、まなみちゃんの全く知らない変質者による犯行。この日キャンプ場で野外学習が行われていることを知った変質者が、偶然集団から離れて一人歩いているまなみちゃんを見つけ連れ去ったのではないかという説です。
まなみちゃんが行方不明になってから警察が捜索を始めるまでにはおよそ4時間の空白の時間があります。その間に犯人はまなみちゃんを連れて遠くへ逃げた可能性も考えられます。
このようなことから現在、変質者による誘拐説が最も有力とされています。
まとめ
メディアでも何度も取り上げられているこの事件。しかしその行方は未だに全く分かっていません。
しかし、事件から14年がたった今でもまなみちゃんの家族はその帰りを待ち続けています。
そして岐阜県警も情報提供を求めています。一体まなみちゃんはなぜ姿を消してしまったのか、その真実が解明され一刻も早くまなみちゃんが発見されることを願っています。